(10/15)風で釣りにいけぬ日は、風を撮り、大魚を釣った福田蘭童を読む
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投稿者:TOSHIYUKI1812さん
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http://maesaka-toshiyuki.com/detail/967(10/15)風で釣りにいけない日には、風を撮り、釣の話を書くー福田蘭童。本日は20mもの強風が吹き荒れ、カヤックフィッシングはダメ、それでは書斎から風、木々を揺らし、落ち葉を吹き飛ばす風の凄さを楽しめばよい。わしの釣りの大先生・福田 蘭童の釣り本を読むことにしたのじゃな。わしは福田 蘭童が大好きだね。子供の自分に彼の「笛吹童子」「紅孔雀」などの曲が頭にしっかり焼きついておる。この懐メロリズムが流れると、涙が出てくるよ。福田 蘭童は昭和の初めに世界を釣り歩いた、尺八をもって漂泊し、食べ歩いたコスモポリタン、世界的な釣り人で、開高健さんの先生だね。 蘭堂の釣り話① 吉川英治に11キロの巨マダイを釣りあげる 太平洋戦争中のこと。青山の作家の吉川英治さんをたずねてみると「弱ったなア、せがれの誕生日がくるのに、オカシラつきの魚が手にはいらないんだ」と、嘆いていた。「釣ってきてあげますよ、大ダイをネ」あくる日、さっそく伊豆の網代へいった。近くの小川で小エビをすくい、乗りつけの機械船に乗りこんだ。八時ごろ。三十分ほどして初島手前のサバ根に到着した。底に岩や藻が生えている場所。テソヤの仕掛けに、小エビを二尾刺しにして糸を出した。根にとられぬようにハリを上下に操っていると、道糸が動かなくなった。地球を釣ってしまったかと思った。五分間ほどして糸が切れたかと思った瞬間、スーヅと糸が引きこまれた。魚、しかもデカイゾ。岩穴へもぐられぬよう用心しじわじわとあげると、下へ引くようすが手のうちに伝わってきた。「タ、イだ。大ダイだヅ」と船頭が叫ぶ。なかなかあがらない。四十分ほどたっただろうか、五十メートルほどたぐり寄せると軽くなった。糸を切られても、もう心配はない。水圧の関係で、魚の目玉とバラワタがとびだし、ほっといても自然と浮上するからである。しばらくすると、水中に青白いものが見えた。間違いなくタイだ。九十センチ、十一キロもあるマダィだった。タイの頭にクギを打ちこみ、血を抜いてから、また釣りをはじめた。また大きなのがかか大ダイはカゴにはいらぬので、コモに包んで吉川邸に持ちこんだ。さっそく魚拓をとった。吉川氏はその余白に「神代今、人に見劣る桜かな」と書き「蘭童君我が豚児の為にこれを釣る。よってこの書を与う」と讃をした。しかしそれを切る大きな出刃包丁がないので、隣から包丁をかりてきて、わたしが刺身を作った。四十人分の刺身ができた。タイのオカシラを皿にのせて吉川氏の長男の英明君の前へ出したが、その坊やの頭よりもタイの頭のほうがはるかに大きかった。蘭堂の釣り話③ 巨大イトウ1メートルを仕留める これも太平洋戦争中の昭和17年ごろの話らしい。蘭堂は劇団を組織して陸海の傷病兵を慰問した。団員は四十人ほどだったが、本州、四国、九州、北海道はむろんのこと、朝鮮や満州へも出かけていった。むろん、余暇を見ては釣りをした。印象に残っているのは北海道でのイトウ釣りであった。淡水にすみ、一メートルにも育つ魚である。体はサケに似て頭はボラだ。アイヌはこれをオへラベと呼んでいた。 わたしは函館本線の蘭越駅で下車し、尻別川へ釣りにいった。先頭のものが石油カンをたたきながら進んでいった。クマの襲来を防ぐためである。竿は腰の強い三メートルもので、先糸に人造テグスを用い、ハリスはタイ釣り用の本テグスだった。ハリにドジョウを二尾がけにして、急流から淵へと誘導した。とたん、グーッときて下流へ非常な力で引いていった。そこでリールを丹念に操作しながら魚の疲労を待った。やがてイトウは白い腹を見せて岸へ寄ってきた。できるだけ浅場へ引きよせると、石油カンをたたいていた案内人が、腰に差していたナタをつかんで、イトウの頭をミネ打ちした。そして釣をエラブタにさしこんで引きあげた。一メートルに近い大物だった。わたしの手のふるえがしばらくとまらなかった。http://maesaka-toshiyuki.com/detail/966http://maesaka-toshiyuki.com/detail/967






















